遺跡・一宮・竹島・尖閣
★石の宝殿、益田岩船と環状木柱列(ウッドサークル)・環状列石(ストーンサークル)との驚く関係

 図S55は石の宝殿と益田岩船を原点(神社群中心)として一宮と環状木柱列、環状列石に対してHSCPの規則で線を引いた図です(石の宝殿から南側に行く線は省略してあります)。神社は※印のついた富部神社以外はすべて一宮またはその論社です。一宮は論社を含めても全国で120社ほどしかありません。まさかと驚く人が多いと思いますがこれがありのままの現実です。図S55は国土地理院の地図を利用していてその位置は正確で捏造することもできません。
東京にある著名な古代史の会の古参会員ように、これまで、
・古代人が可視できないような遠方の方角を知ることができるわけはない。
・HSCPは偶然の結果か恣意的な作図の結果でしかない、日本は神社が多く30万社以上もあるので、どんな規則で線を引いても必ず何らかの神社に行き当たるのは当たり前である。

・古代、東北や北海道は蝦夷地であって、全く別の文化を持つ集団がいた。北方の蝦夷地に南方と同じ文化があるはずはない。
・神社の位置と縄文遺跡の位置がお互いに関係しているなどとんでもない、時代錯誤もはなはだしい。

などと屁理屈をつけてHSCPを無視し続けてきた人達は図S55を見て何を考えるでしょうか?
図S55を見れば小学生でも一目瞭然に先の理屈が成り立たないことがわかるでしょう。同時に、これまで色々と神社の位置に関する論考に用いられてきた「太陽の道」とか、「レイライン」などと呼ばれていたものが、でたらめか思い込みに過ぎなかったこともわかると思います。
以下に図S55について詳しく説明して行きます。

 
  図S55 石の宝殿、益田岩船を起点とした一宮、縄文遺跡に対するHSCP線(神社は※印を除いて、すべて一宮かその論社)
(地図上の直線相互間の角度は地図の原理的な歪によって必ずしも正確な角度を示していません)

 いきなり、多くのポイントを結んだ線を見てもすぐにはわかりにくいかも知れません。しかし、良く見ると石の宝殿を出発した線は石川県や富山県にある真脇遺跡、チカモリ遺跡、桜町遺跡などの環状木柱列、さらにその延長線には良く知られたストーンサークルを持つ伊勢堂岱遺跡、大湯環状列石につながっていることがわかります。
また、益田岩船から出発した赤色の線は一宮だけでなく、戌立(いんだて)石器時代住居跡、西秋留(にしあきる)石器時代住居跡、寸沢嵐(すわらし)石器時代住居跡、川尻石器時代住居跡などの石器時代住居跡と呼ばれる扁平な川原石を敷き詰めた配石遺構を持つ遺跡につながっていることがわかります。その典型的な例を写真S1に示します。これらの遺跡は神社群中心の位置にあることから、住居跡ではなく、何らかの祭祀場であると以前から主張していたものです。これらの遺跡が謎の石造物や一宮と特異な幾何学的位置に配置されていることから、この予想はやはり正しかったと考えています。

写真S1 典型的な敷石状配石遺構を持つ遺跡・寸沢嵐石器時代住居跡

これらの遺跡は神社と比較して桁違いに数が少ないにもかかわらず、その多くが図1に示すHSCPの直角線に組み込まれていることは不思議としか言いようのない配列になっていることがわかると思います。このような規則的な配列は偶然と言うよりは、人為的に計画されて配置された世界でも類のない特異な配列です。しかし、この配列はこれまで誰も気づくことのなかったものです。次にその特異な配置について詳しく説明をして行きます。

●石の宝殿、環状木柱列、環状列石は直線状に配置されている。

 
 
番号 ポイント名 特徴 住所 方位角
(出発点)
方位角
(出発点)
(補正) 
方位角の差
 
 方位角の差
(補正
石の宝殿 謎の石造物 兵庫県高砂市阿弥陀町生石17      
真脇遺跡 環状木柱列(半截材木柱) 石川県鳳珠郡能登町字真脇 37.06゜ 38.04゜    
チカモリ遺跡 環状木柱列(半截材木柱) 石川県金沢市新保本5 39.15゜  39.46゜    
桜町遺跡 環状木柱列(半截材木柱) 富山県小矢部市桜町 40.58゜ 41.35゜    
杉沢台遺跡 サークル未発見 秋田県能代市磐杉沢台 35.50゜ 37.56゜ ②との差 1.56゜ ②との差0.13
伊勢堂岱遺跡 ストーンサークル 秋田県北秋田市脇神 37.34゜ 39.53゜ ③との差 1.81゜ ③との差 0.12
大湯環状列石 ストーンサークル 秋田県鹿角市十和田大湯 39.17゜ 41.45゜ ④との差 1.41゜ ④との差 0.17
図S56 石の宝殿と環状木柱列、環状列石の位置関係(①から⑦はすべて神社群中心の位置にある)
注;「赤文字で示した角度」は石の宝殿から対象ポイントまでの測地線長が100kmを超える場合、
石の宝殿から約100km地点における線上のポイントを取り、
その値を国土地理院「距離と方位角の計算」で計算した値です
(楕円体モデルはGRS80)

注;図S55は国土地理院の地理院地図を使っています。地図の切り替えが簡単にでき、大変便利になりました。しかし、作図は驚くほど使い勝手が悪く、とてもこの研究には使うことができません。担当が変わるたびに使い勝手が変わり、改悪されて行きます。一体どうしたものでしょう?。また、XML→KML変換はIE8以上のバージョンではうまく動きません。

2013.10.17記
 図S56を見ると①石の宝殿から代表的なストーンサークルとされている⑦大湯環状列石、⑥伊勢堂岱遺跡のそれぞれに線を引くと、③チカモリ遺跡または④桜町遺跡のほぼ真上を通ります。③チカモリ遺跡と④桜町遺跡は②真脇遺跡と併せて環状木柱列(ウッドサークル)を持つ特徴的な遺跡で全国でも4例しかない珍しい遺跡です。また、⑤杉沢台遺跡は大型住居跡が検出されていますが、今のところ、環状列石は検出されていません。しかし①石の宝殿から⑤杉沢台遺跡に引いた線は環状木柱列を持つ②真脇遺跡のほぼ真上を通っています。図S56から見ると、杉沢台遺跡にも環状列石が存在していたことは間違いないと考えられます。HSCPから推定すると、その中心位置は国土地理院の遺跡を示す三つ目マークの中心からわずか南東側にずれた位置になります。杉沢台遺跡周辺は、平安時代まで利用が続いた形跡もあり、この時代に列石が取り除かれた可能性も考えられます。
参考;環状木柱列からみた縄文時代晩期の地域社会. 山本直人(ここでは、環状木柱列と認定できる遺跡はチカモリ遺跡、真脇遺跡、桜町遺跡、米泉遺跡の4遺跡であると書かれています)

 このように珍しい遺跡と、遠く離れた東北にある環状列石が同じ思想で配置されていると言っても、恐らく誰も信じてくれないでしょう。しかし、確率から見ればそれは間違いないと言い切れるほど確かな事実なのです。図S56に示したように、石の宝殿から出発して、それぞれの遺跡に到達する場合の出発点から見た方位角を示しています(ここでは右手系東基準としていて、北を正、南を負としています)。その方位角の差は1.56度を中心とすると-0.15度、+0.25度の中に入っています。ここから推測すると、石の宝殿を元にして、直線状に並んだ木柱列と環状列石との方位角のわずかな差は地殻変動が主な要因であって、地殻変動の要因を取り除くと、その角度の差は大きく見ても0.5度以内に入っていると考えられます。
(図S56で示した赤字の角度ではその角度の差は更に少なくなっています。この事実は古代人が方位を決めた方法を考える際に、大きなヒントを与えてくれます。)

 ランダムに配置された二点がこのような精度で同一線上に存在する大雑把な確率は0.5です。したがって、このような事象が偶然に起きるとすると200回に一回程度です。
(赤字で示した角度ではそのうな事象の起きる大雑把な確率は数千回に一回程度になります。)このように。滅多に起きることのない事象が、極めて稀にしか存在しない環状木柱列と環状列石との関係として特異的に現れることは、偶然と考えるよりも、両者の位置関係があらかじめ意図して配置されていたと考えざるを得ません。この特異的な事象は古代人が見通しも効かない何百kmもの遠方にある位置を正確に知ることができた決定的証拠になります。 また、何度も繰り返して書きますが、上記①から⑦の各ポイントはレイラインの手法に用いるような単なる点ではなく、すべて神社群中心の位置にあり、周辺の神社二つの間に引いた線に対する直角線の収斂点になっているので、これまで多くの人達が用いて来たレイラインの手法とは桁違いに信頼性が高いことになります。
 
 考古学者はそんな馬鹿な話がある訳はない、「環状木柱列と環状列石は材料も形状も異なるので、このように全く異なる構造物を同じ思想でその位置を決めることなどはとても考えられない。」と言うに違いありません。もし、このような考え方をされたら★ストーンサークルの干字状パターンをもう一度読み直してください。北海道ではストーンサークル(環状列石)と環状土籬、東北では環状列石、関東では扁平敷石遺構、石川・富山付近では半截材木柱を使った環状木柱列、近畿では加工された巨石と全く異なる構造のものが、同一思想で配置されています。

 
この事実は、古代では一般的な地域社会を作っている原住民と、それとは全く別な高度の知識を持つ少数の人々(折口信夫の主張したまれびと)が日本にいて、その人達の指示する位置に原住民がその土地で作りやすい構造物を作ったとすると辻褄が合います。当時、国と呼べるようなものがあったかどうかわかりませんが、神社の配列で見る限り、現在の日本の領土とされている沖縄(尖閣列島を含み、大正島は神社群中心の位置にあります)から北海道まで、同じ思想で正確に神社が配置されていて、「まれびと」に相当する人達が現在の日本の領土となっている全範囲に影響を与えていたことがわかります。

 「まれびと」は当時進んだ文化を持った、どこかの地域から派遣された鉱山技師やその配下の人達、鉱石を探索する目的で派遣されてきたものの、その間に自国が侵略で滅亡したために本国に戻れず残留した人達などである可能性が高いのです。縄文時代にそのような人達が存在した証拠は、先にも述べたように山形県飽海郡遊佐町吹浦字女鹿三崎山の縄文時代の遺跡から見つかった青銅の刀子にもあります。また、明らかに金属製の刀を模造したと思われる石器が各地の縄文遺跡から高い頻度で検出されることからもわかります。

 この事実で領土問題が解決するかどうかわかりませんが、少なくとも、沖縄がかつて中国に属していたとか、対馬がかつて韓国に属していたなどとする主張は、沖縄や対馬の神社が日本本土と連続した同一配列状態にあることから、確率論から出る数値を持って科学的に否定することができるのです。ろくろく検討もせず、確かでもない常識をもとに、HSCPを無視したり、興味を持たない人達を国賊だと呼ぶ理由はここにあります。


注;あくまでも想像ですが、遮光器土偶は青銅製の鎧・兜を纏った「まれびと」の姿と古代シュメールの女神イシュタルの姿を併せ持つように模造したのかも知れません。常識では、女神が鎧・兜をつける訳はないと言われそうですが、イシュタルは戦いの神でもあり、武者姿をしているものもあるようです。日本書紀にある神功皇后が妊娠したまま新羅の国を攻めた話の元ネタもここから来ているのかもしれません。

注;昭和17年7月23日~8月5日に大湯環状列石を発掘したとき、現場から金鉱石も一緒に出土した記録があります。これは、環状列石と鉱山との関連を示す証拠でもあります。この金鉱石がどこの鉱山から産出したものかなど、分析した結果をお持ちの方はぜひその詳細を教えてください。(参考 日本の環状列石 羽田正明著)


2013.10.28 記

     
(JOMONパークに復元されたもの)

さくらまちNEWS2003.3(桜町遺跡発掘調査団発行)1P
チカモリ遺跡の環状木柱列 
北緯 36度33分22秒61 東経 136度36分1秒13
 真脇遺跡の環状木柱列
 北緯 37度18分21秒10 東経 137度12分25秒18
桜町遺跡の環状木柱列 
発掘位置とは別の場所に復元
写真S2  

注;チカモリ遺跡、真脇遺跡は実際に環状木柱列があった場所に木柱列が復元されていますが、桜町遺跡の木柱列は現在別の場所に復元されています。環状木柱列の正確な中心位置はどの遺跡も公式な記載は見つからなかったばかりか、各遺跡にある博物館も木柱列の中心位置を示す正確な緯度・経度を把握していませんでした。これは、遺跡の位置そのものを詳しく研究した人がいなかったことを意味しています。先に書いたように、桜町遺跡の環状木柱列の中心位置は小矢部市教育委員会から教えてもらった値で少数点以下2桁が有効です。チカモリ遺跡の位置は現地における携帯型GPS装置による測定値と国土地理院の地図とのマッチングによって得た値で少数点以下2桁が有効です。しかし、真脇遺跡はマッチングする対象物が木柱列の直近になかったため僅かのずれがある可能性があります(数メートル程度)。


●古富士ポイント、環状木柱列、環状列石は直角に配置されている。

 兵庫にある石の宝殿はこれまで謎が多く、研究の糸口すらみつからなかったものです。これが縄文遺跡と関係しているなどと予想した人もいません。また、石の宝殿が92mの標高を持つ竜山石(流紋岩質溶結凝灰岩)と呼ばれる石で出来た山の裾を切り出したものです(切り出したと言っても底部は直接竜山につながっている)。竜山石は、仁徳天皇陵の石棺をはじめとして近畿にある多くの古墳で石棺として使われていることから、それが造られた時期が古墳時代であるとする予測を多くの人は持っていたようです。しかし、この期待は裏切られ、この位置が決められた時期は縄文時代まで遡る可能性を持ってきたことになります。
 
 こんなことを書いても、そんな馬鹿な話は聞いても無駄だと思われる方も多いに違いありません。そして、図S56は単なる偶然が重なったに過ぎないと考えたくなる人も多いでしょう。しかし、縄文時代に何百キロもの遠方の方角を知ることができたり、全山が石で出来た竜山から、何百トンもある構造物を切り出す技術を持った人達が実在したことことは疑いのない事実なのです。
 次は三つの環状木柱列の位置についてさらに別の見方をして見ます。★縄文遺跡と神社位置の関係(二)では古富士を出発した線が真脇遺跡を通り89.67度で佐渡の長者ヶ平遺跡に到着すること説明しました。恐らくこのような不思議なことは意図的に計画されたものではなく、偶然であろうと考えた人が多かったに違いありません。しかし、図S57を見たらその考えを変えざる得なくなるでしょう。

 
 
番号 ポイント名 特徴 住所 結線・経路 屈曲点
内角
補正内角
真脇遺跡 環状木柱列(半截材木柱) 石川県鳳珠郡能登町字真脇 ⑧-②-⑨ 89.67゜ 90.15゜
チカモリ遺跡 環状木柱列(半截材木柱) 石川県金沢市新保本5 ⑧-③-⑩ 91.26゜ 90.13
桜町遺跡 環状木柱列(半截材木柱) 富山県小矢部市桜町 ⑧-④-⑦ 91.22゜ 90.12
大湯環状列石 ストーンサークル 秋田県鹿角市十和田大湯万座      
古富士ポイント 約3000年前の富士山ピーク 静岡県御殿場市  
長者ヶ平遺跡 メンヒル 佐渡市小木金田新田123-2  
亀ヶ岡石器時代遺跡 ストーンサークル未発見 青森県つがる市木造亀ヶ岡      
古富士ポイントに向かう線は環状木柱列の向きと一致している
図面上で、線の示す角度は地図の原理的な歪で必ずしも正しい値を示していません。
「補正内角」は屈曲点から対象ポイントまでの測地線長が100kmを超える場合、屈曲点から約100km地点における線上のポイント
を取り、その値を国土地理院「距離と方位角の計算」で計算した値です(楕円体モデルはGRS80)
。この値は、屈曲点の地域に該当する
直角平面座標系を使い、屈曲点付近で線が作る角度を見た値にほぼ近い値を示します。
 図S57 古富士ボイント、状木柱列、環状列石の位置関係(①から⑩はすべて神社群中心の位置にある)

 図S57は古富士ポイントを中心としてHSCPで環状木柱列に線を引いた結果です。ここでは古富士ポイントを中心として、環状木柱列と環状列石がHSCP配列となっています。②真脇遺跡の屈曲点の内角はほぼ正確な直角です。また、③チカモリ遺跡、④桜町遺跡における屈曲点の内角は直角からわずかずれています、しかし、両者の内角の差は0.04度しかありません。これは、その誤差要因が地殻変動によるもので、本来は極めて正確な直角であったことを示しています。
追記、この問題は追加した補正内角により、解消しました。古代人が縄文時代にこのような角度を認識できたとともに、北陸の環状木柱列と東北の環状列石が統一された思想で位置が決められていた決定的な証拠となると考えています。
この事実から、このような遺跡の位置は現地の住民が決めたのではなく、日本全体の範囲を意識できる、全く別の階級または能力のある人達が決めていたと考えざるを得ません。2014.3.18

  ここで、桜町遺跡を経由した線は国内では最も大規模なストーンサークルである大湯環状列石(内角の値は万座堂の中心位置で算出)に到着しています。また、真脇遺跡を経由した線は長者ヶ平遺跡に到達していますが、ここからはメンヒル状のものが検出されています。チカモリ遺跡を経由した線は亀ヶ岡石器時代遺跡に到達していて、前例にならえば、亀ヶ岡石器時代遺跡にもストーンサークルがあることが予想されます。残念ながら、今のところそれは未発見です。その理由は、この遺跡はまだ全部が発掘されていないことによるか、亀ヶ岡城の築城でそれがすでに取り除かれている可能性もあります。

2013.11.29記、2014.3.18補正内角追加


●環状木柱列の向きは古富士ポイントを向いている

 常識から抜けられない人は古富士ポイントについて疑問を持っている人が多いようです。そのような人は図S57に対しても疑問を持つに違いありません。★HSCPで箸墓古墳の謎に迫るでも箸墓古墳が古富士ポイントを向いていると説明しましたが、恐らく偶然の結果でしかないと考えた人も多いでしょう。

 古富士ポイントは全国の神社群のほとんどが干字状パターンによって指している点です。古代の富士山は二子山(ツインピーク)で3千年ほど前に大噴火や山体崩壊などによってほぼ現在の姿になったとされています。古富士ポイントはその前のピークであると考えています。神社群の総数は今のところわかりませんが、全国で恐らく数千あると考えられ、そのほとんどが持つ干字状パターンが古富士ポイントを指しています。こんな事を書いた人はこれまで誰もいません。しかも日本書紀には「富士山」の記載すらありません。多くの人が信じられないと考えるのは当たり前でしょう、しかし古代人が古富士ポイントを重視していたことは間違いのない事実なのです。日本全国の神社群から極めて正確な角度で作られた干字状パターンの中心線が何千本も古富士ボイントに到着しているのです。一本、二本なら偶然と言うこともありますが、桁が違う数で、思いつきで引いたようなレイラインとは全く信頼性の異なるものです。

 環状木柱列においても同じことが言えることがわかりました。環状木柱列は箸墓古墳の向きと同じように古富士を向いていました。つまり、図S57の③-⑧、④-⑧、②-⑧の三つの線はそれぞれの環状木柱列の向きと一致しているのです。(チカモリ遺跡は現在発表されている向きより一柱ずれていますが、これは木柱列痕跡の分析が間違っていたものと考えています)。以下にそれぞの環状木柱列の痕跡とその向きに対して説明をします。
2013.12.5記

















 真脇遺跡(現地説明板の写真を編集)  桜町遺跡(さくらまちNEWS2004.2の図を編集)  チカモリ遺跡(現地説明版の写真を編集)
中心位置 北緯 36度33分22秒61 東経 136度36分1秒13 中心位置 北緯 37度18分21秒10 東経 137度12分25秒18  中心位置 北緯 36度41分19秒79 東経 136度52分09秒97
 図S58 環状木柱列の痕跡(茶色)と古富士ポイントの方向(青色)
(青色矢印は各木柱列の中心位置を地図原点とした時の古富士の方向。一般の地図ではこの方向を正確に求めることができない
、図では真北が上方)

注;図S58は各環状木柱列と古富士ポイントの方向を青線矢印で示しました。この矢印の方向は各環状木柱列の中心位置から古富士ポイントを望んだ方向を表しています。地図を持っていなかったと思われる古代人が考えていた方向と一致していると考えています。しかし、一般の地図上で単に線を引いただけでは、この正しい方向は求めることができません。地図の持つ原理的な歪が存在することがその理由です。図S58は地図の原点をそれぞれの環状木柱列の中心位置にして地図を書き、その原点から古富士ポイントを望んだ方向を示しています。この作業は計算機を利用しなければ不可能な作業で、一般の地図上では絶対にできないことに注意する必要があります。

 図S58の真脇遺跡では、見かたによっては、その方向は少しずれているようにも見えますが、三角柱と共に門状に配置された木柱列は明らかに古富士ポイントの方向と一致しています。また桜町遺跡でも、木柱列の方向は正確に古富士ポイントを向いています。

注;桜町遺跡の木柱の痕跡を示す図は桜町遺跡調査団発行のさくらまちNEWS2004.2の「第三次調査区東側遺構概略図」を編集したものです。

 桜町遺跡の環状木柱列を復元されたものがJOMONパーク(富山県小矢部市桜町字中出1716-1)にあります。真脇遺跡とチカモリ遺跡は木柱列が検出されたと同じ場所に木柱列が復元されていますが、桜町遺跡は国道8号線小矢部バイパス建設地にあるので、環状木柱列は別の場所にあるJOMONパークに復元されています。この木柱列は地上部上方の柱に「貫穴」があり、その貫穴から予想された構造物が写真S2のように復元されていますが、そこに壁や屋根があったかどうかは今のところわかっていません。

 図S58のチカモリ遺跡でも環状木柱列の方向と古富士ポイントの方向が一致しています。ただし、遺跡の案内板では木柱列の反時計方向に一列ずれた方を入口としています。図に示した木柱の痕跡からは、確かにそのようにも見えて判断の難しい状況です。しかし、これまでの例を勘案すれば、恐らくそれは間違いで、古富士を向いた入口が正しいと考えています。


 ところで、チカモリ遺跡の「チカモリ」の呼び名はとても奇妙で外国名のようにも聞こえます。地元の伝承によると、3,200年前にチカモリ王がこの地区を治めていて、チカモリ王が通った場所は王進町(オウシンマチ)と呼ばれ、王様と高官だけが通ることができた道があったと伝えられています。(参考;金沢市西南部校下町会連合会発足10周年記念誌)
2013.12.10 記

★「神津島」の名前はHSCPによる線の収斂状態を示したものか?

 伊豆七島には神津島と呼ばれる島がありますが、この神社は、延喜式内社で『続日本後紀』の承和7年(840年)の項にも見られる神社です。鎌倉時代に書かれたとされる東京都東京都三宅記には「神集島」となっていて、島の名そのものに、神が集まるとした意味を持っていたことになります。

 日本固有種でるアジサイの名前は藍が集まった意味の集真藍(あずさい)から来ていると言われていことから見ても、古語では集まる状態を意味していた言葉を「集」の漢字にあてたと考えられます。もしかしたら、すでに伝承が失われているHSCPによる収斂線の状態が島の名前として残っている可能性も考えられます。

 
 
スタート点 経由点 到着点 補正内角
(度)
①物忌奈命神社
(延喜式内社)
東京都神津島村41
②鶴岡八幡宮 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1番31号 竹島 島根県隠岐郡隠岐の島町 89.87
③一宮神社 新潟県佐渡市宮川甲429-1 ④志波彦神社 宮城県塩竈市一森山1番1号 90.46
⑤三嶋大社 静岡県三島市大宮町二丁目1番5号 ⑥伊弉諾神宮 兵庫県淡路市多賀740 90.22
⑦諏訪大社下社秋宮 長野県諏訪郡下諏訪町5828 ⑧安仁神社 岡山県岡山市東区西大寺一宮895 90.69
⑨石都々古和気神社 福島県石川郡石川町下泉269 ⑩高良大社 福岡県久留米市御井町1番地 90.95
⑨石都々古和気神社 福島県石川郡石川町下泉269 ⑫大山祗神社 愛媛県今治市大三島町宮浦 90.92
⑬雄山神社 富山県中新川郡立山町域内 ⑭玉祖神社 山口県防府市大字大崎1690 90.84
⑮気多神社 石川県羽咋市寺家町ク1 ㉒千栗八幡宮 佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字千栗 90.34
⑰射水神社 富山県高岡市古城1-1 ⑱中山神社 岡山県津山市一宮695 90.39
⑲高瀬神社 富山県南砺市高瀬291 ⑳彌彦神社 新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2898 90.12
㉑気多神社  富山県高岡市伏木一宮1-10-1 ㉒千栗八幡宮 佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字千栗 90.34
㉑白山比咩神社 福井県敦賀市曙町11-68 ㉒新居浜一宮 愛媛県新居浜市一宮町1丁目3-1 90.54
㉕水無神社  岐阜県高山市一之宮町一の宮上5323  ⑥伊弉諾神宮  兵庫県淡路市多賀740 90.00
㉖南宮大社 岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1 ㉗敢国神社 三重県伊賀市一之宮877 89.45
㉘水若酢神社 島根県隠岐郡隠岐の島町郡723 ㉙西寒多神社 大分県大分市寒田1644 90.37
㉘水若酢神社 島根県隠岐郡隠岐の島町郡723 ㉚枚聞神社 鹿児島県指宿市開聞十町1366 90.48
㉛籠神社 京都府宮津市字大垣430 ㉜上一宮大粟神社 徳島県名西郡神山町神領字西上角330 90.24
㉜上一宮大栗神社 徳島県名西郡神山町神領字西上角330 ㉞宇倍神社 鳥取県鳥取市国府町宮下字一宮651 89.34
㉟玉祖神社 山口県防府市大字大崎1690 ㊱都農神社 宮崎県児湯郡都農町大字川北13294 91.00
㊲新田神社 鹿児島県薩摩川内市宮内町1935-2 ㊳海神神社 長崎県対馬市峰町木坂247 90.14
⑳彌彦神社 新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2898  竹島 島根県隠岐郡隠岐の島町 89.53
竹島 島根県隠岐郡隠岐の島町 大正島 沖縄県石垣市(尖閣諸島) 90.38
注;⑳彌彦神社の位置は旧殿の推定位置(HSCPによる) を使用
竹島の位置は東島の97mピーク点、大正島は75mのピーク点を仮に置いた(残念ながら、HSCPでは精度の問題で島内の正確な位置は求まらない)。
 「補正内角」は屈曲点から対象ポイントまでの測地線長が100kmを超える場合、屈曲点から約100km地点における線上の
ポイントを取り、その値を国土地理院「距離と方位角の計算」で計算した値です(楕円体モデルはGRS80)
 図S59 神津島の物忌奈命神社に集まるHSCPの直角線(②~㊳までがすべて一宮またはその論社、直角から一度以内の誤差)


 神津島には、伊豆諸島の神々が集まって、水の分配会議をしたとする伝説が残っています。しかし、これは島の名前から後世に創作されたもので、本来はHSCPによる神社間結線の集合点を意味していたものが誤って伝えられてしまったものとも考えられます。 そこで、神津島ですでに神社群中心であることがわかっている物忌奈命神社(ものいみなのみことじんじゃ、東京都神津島村41、延喜式内社、参考;図S25⑥)の位置を中心として、全国一宮との間でHSCPが成立するかどうかを確かめて見ました(この検証方式を一宮テンプレート方式による検証と呼びます)。

 図S59がその結果です。非常に数多くの直角線が成立しています。それぞれの、屈曲点を地図の原点になるようにしてその角度を測ると、直角からのずれは1度以内となっていて、直角定規ではその誤差を認識できない高い直角精度を持っています。一宮の数は全国で約120社です(論社を含む)、もし一宮の位置がランダムに配置されているとしたら、そのような精度の直角はせいぜい一つか二つ程度の直角しか成立しません。

 ところが、図S59で20件以上もの正確な直角線が成立していることは、一宮が物忌奈命神社の位置を意識して計画的に配置されているとしか考えられません。特に注目することは、三嶋大社を経由した直角線が90.22゜の高い直角精度で、国生み神話に登場する⑥伊弉諾神宮に到達していることです。同じように、㉕水無神社を経由した線はぴったり90.00度の直角で⑥伊弉諾神宮に到達しています。高い精度の直角線が同一点で交わるとした特異な事象は確率から見ても偶然に起きることは極めて稀で、これも計画的に成されているとしか考えられません。同じように、竹島に到着する線が偶然にして起きることはありません。その証拠は、竹島に到着する線が今回の事象以外に驚くほどたくさんあることからもわかります。

 さらに、神津島をオノコロ島に見立てると、それとなく国生み神話に繋がるようにも見えます。続日本後記(和7年、840年)9月23条では、⑤三嶋大社の祭神は阿波の命の后で、その御子神が①の祭神である物忌奈命であると記載されていて、この記載と神社配置は無関係ではないように見えます。もしかしたら、国生み神話は図S59のような神社配置を元にして生まれたのかも知れません。伊弉諾神宮に関してはこのリンク先に「地方神であった伊弉諾尊の神話が、淡路国から大和朝廷の神話に組み込まれた」などと書かれていますがHSCPで見る限り、それらの説はとんでもない間違いであることがわかります。


 

2014.4.23記

 承和7年(840年)10月14日まで無位でもあり、専門家がほとんど注目したこともなかった神津島の物忌奈命神社の位置がこのように重要な位置にあることを信じられないと考える人も多いでしょう。そこで、図S60を示します。

 図S60に示すように、伊弉諾神宮と古富士ポイントとの間に90.69度の高い精度の直角線が引けるとした特異な配列になっています。ここでは、物忌奈命神社を出たが全国の神社群中心が、干字状パターンで指している古富士ポイントを経由して、国生み神話に登場する伊弉諾神宮に到着するとした特異な関係にあることは、島の名前から発想して物忌奈命神社を選んだことが正しかったことを示しています。なお、後に説明しますが、
図S60は神社と縄文遺跡の位置が関係していることを語る重要な図の一部でもあります。

 ここで、少し脱線しますが物忌奈命神社は神津島村の集落はずれの港近くにある石段を上がった高台に、境内全面に白い砂を敷き詰めたとても美しいところに本殿があります。私は大学生の頃、幾度もこの社務所に泊めさせてもらいました。もともと、HSCPの発想はこの頃からあったのです。島の雨は熱帯の雨のように豪雨になることが多く、雨が降ると一歩も外にでることができなくなります。そのようなとき、島の焼酎を飲みながら地図を眺めていることしかやることのなかったときに、その発想が生まれていたのです。

 しかし、その後仕事が忙しくなり、退職するまでそれは封印されていました。神津島はとても好きな島であり、通算では半年以上も滞在しています。このように個人的にも好きな島にある神社が竹島や尖閣諸島とも幾何学的に関係した位置にあることは最近まで全く考えたこともありませんでした。図S59の意味がわかったとき、心臓が飛び出るほど驚いたのは己そのものです。ほんとうに不思議なことがあるものです。
 

 
 図S60  物忌奈命神社を発した線は、全国の神社群中心が指す古富士ポイントを経由、国生み神話に登場する伊弉諾神宮に到着する
(角度は補正内角)


★竹島(島根県隠岐郡隠岐の島町
)、大正島(沖縄県石垣市)が本土の神社位置に関係している


  図S59から竹島と大正島(尖閣諸島、神社群中心として後にも説明)に関係する線を取り出し、さらに紀伊国一宮である伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ、和歌山県和歌山市伊太祈曽558)追加した図が図S61です。

  これまで古代人が重要であろうと考えた直角線には「ピギーバック配列」と名付けた親亀に子亀が乗ったような直角線の配列があることをすでに何度も書いています。青色の線で示した物忌奈命神社-竹島-大正島間の直角線もその例に漏れずピギーバック配列を持っています(図S61桃色の線)。しかも物忌奈命神社-竹島を結んだ線には頂点を彌彦神社、鶴岡八幡宮とする二つの直角線があります。一方、竹島-大正島間には伊太祁曽神社を頂点とする直角線を持っています。それぞれの頂点にある神社はすべて稀にしか存在しない一宮で構成されていて、しかもその直角精度も極めて高いので、このような配列が偶然にして起きることが無いことは確率論を知らなくても理解できるでしょう。

 
 図S61 物忌奈命神社-竹島-大正島(尖閣諸島)のピギーバック配列(桃色線、経由点の神社はすべて一宮)
(角度は補正内角)



2014.4.27記

 沖縄の大正島まで達した線を持つ図S61を見てそんな馬鹿なことがあるわけがないと言う人は多いでしょう。このようなことは記紀のどこにも書いていません。もちろん、三国史、後漢書にも見られないので、信じない学者が多いでしょう。しかし、よく考えてください。これらに書かれた我が国の古代の様子は断片的で不確かです。このような不確かで少い情報から、我が国の古代の様子を知ろうとすることは、あたかも、未知数よりも式の数が少い連立方程式を解くようなものです。そのままでは絶対にその式を解くことは不可能なのにもかかわらず、憶測でしかない式や解を勝手に入れて方程式を解いているのです。正解など決して得られることが無いことを知っていながら、最もらしい答えを出す。古代史の研究とはそのようなものだど勘違いしている人達がたくさんいます。わからないことは「わからない」とはっきり言い切ることが学者の努めではないでしょうか?

 そのような中で、権威者や人気作家の意見がいつのまにか常識的な歴史観にすり替わってしまい、場合によっては体制の意見にまでなってしまいます。そうすると、本来確かかどうかもわからないものが、いかにも正しいように勘違いされてしまいます。このように、常識的な歴史観など正しいかどうかもわかってっていないにもかかわらず、その常識から逸脱した意見を出すと、それを攻撃したり、無視したりする風潮が蔓延していることは残念でなりません。

 図S61の大正島に関しても、「古代の沖縄が日本本土と関係していたなどあり得ない、ましてや大正島など・・・・・」と叫ぶ学者も居るでしょう。しかし、古代の沖縄のことを正しく知っている人が果たして居るのでしょうか?誰もいないはずです。本土の古代の様子もわかってもいないのに、遠くはなれた大正島の古代の様子など誰もわかっていないのがあたりまえです。

 それにもかかわらず、常識から外れた意見を出すと無視したり攻撃したりするのは一体どうしたことでしょう。どうしてその意見に真剣に向き合おうとしないのでしょうか?。こんな状態では、いずれ竹島だけでなく、尖閣諸島や沖縄本島、果ては対馬まで、どこかの国ににさらわれてしまいます。我が国が、将来そのような惨めなことにならないように、一生懸命書いていることをぜひわかってください。

 残念なことに、沖縄や対馬の歴史に関して、弱腰だったり、どこかの国に島を寄付したいと考えているのではないかと思うような考えを説く学者もいます。しかし、幸いにも、対馬にはその大きさに似合わないほどたくさんの本土と関係する神社群中心があり、その古富士線のF2Sは阿部首相の故郷山口県にその多くがあります。
後に詳しく説明する予定ですが、不幸にして、上陸戦の場となった沖縄には学者の好きな御嶽(ウタキ)とは別に、縄文から続いた正確な位置にHSCPの成立するポイントが現在も神社として地元の人々によって守られていて、その位置は図S61のように直接本土から到達する線と、奄美群島、吐噶喇列島を含む島伝いの線があります。(反論を歓迎します)

 前置きが長くなってしまいましたが、図S60や図S61に示す神社配置はいつ頃決められたのでしょうか?。図S55から、そのおよその時期は縄文後期か晩期であることがわかります。しかし、図S59は遺跡を含んでいないのでそれが明確ではありません。ここで、それとなく神話を連想させるような図S60を取り上げて見ます。

 図S60が神話につながるような重要な神社配置であるとすると、当然その線にも図S61の桃色で示す線と同様の線があって、ピギーバック配列が成立するはずです。しかし、いくら探してもそれに相当する線は見つかりません。しかし、その疑問は意外な形で解決しました。それを図S62に示します。

 
 図S62 伊弉諾神宮-物忌奈命神社-滝の前遺跡(新潟県)のピギーバック配列
(角度は補正内角)

 すでに予告してあったように、図S60で示す直角線は、図S62で示す伊弉諾神宮-物忌奈命神社-滝の前遺跡(新潟県村上市岩ヶ崎)の直角線の一部、すなわち伊弉諾神宮-物忌奈命神社間に引いた線のピギーピギーバック配列(頂点は古富士ポイント)部分に相当していました。滝の前遺跡は縄文と弥生の複合遺跡です。また桜町遺跡は日本に4例しかない半截した栗材を使用した環状木柱列(ウッドサークル)を持つ特異な遺跡です。先にも述べたように、その栗材は年輪年代法によって紀元前800年頃に伐採されたとされています。後に述べる、幾何学的に竹島と強く関係する寺野東遺跡(栃木県小山市梁)などと併せて考えると、やはり図59による推定と同じく、縄文の後期から晩期頃に図S62の配置が決められたのではないかと推測しています。


注;「滝の前遺跡」は前記リンク先や調査報告書などでは「滝ノ前遺跡」としているものもありますが国土地理院の表示「滝の前遺跡」に合わせてあります。リンク先では弥生時代に重点を置いていますが、後に説明する竹島と強く幾何学的に関係する寺野東遺跡(栃木県小山市梁)が縄文の後期前半から晩期中葉となっているので、滝の前遺跡からもそれに合う遺物が必ず検出されるはずです。滝の前遺跡も神社群中心となっていて、その収斂点は国土地理院の遺跡マークの中心点とほぼ等しい点になっています。

2014.4.30記

 ここでも、図S62を見て「神社と縄文遺跡を一緒にするなどとんでもない。」と考える学者も多いでしょう。そのような人達は図S62は恣意的な線引の結果と偶然が重なっただけだと本気で考えているようです。そうですね、たったひとつの事象でそのようなことを断定することは危険でしょう。しかし、これまで神社と縄文遺跡については何回も書いてきたので、図S62が初めてではないのです。さらに、神社と縄文遺跡が関係している証拠はまだたくさんあります。しかし、ここではそれを後に譲って次の説明に移ります。

   
スタート点 経由点 到着点 補正内角
(度)
③大正島
沖縄県石垣市
④月ヶ岡神社
注;図46
東京都小笠原村母島 ⑤知床稲荷神社
注;①
北海道礼文郡礼文町香深村知床 89.27
     図S63  ③大正島-④月ヶ岡神社-⑤知床稲荷神社の作る正確な直角
(角度は補正内角)

  図S63は③大正島-④月ヶ岡神社-⑤知床稲荷神社の作る正確な直角です。この図を見て、「笑うしかない、古代に大正島や小笠原に日本人が到達した記録もないし、北海道の神社は明治期に造られたのは誰でも知っている。」と多くの人は言うに違いありません。

2014.5.1記

 しかし、沖縄の歴史日琉同祖論に見られるように沖縄に関する古代の歴史はほとんどわかっていないのです。一番確かなことは、一時、沖縄には本土の縄文時代に相当するものがないとされていましたが、その後本土の縄文時代と似た遺跡がみつかっていることと、沖縄の方言と本土の方言が同じ起源を持っていることくらいでしょう。このように沖縄には古代を知ろうとすると、わずかの情報しかありませんが、HSCPで見ると沖縄や奄美群島、吐噶喇列島の神社には驚くほど多くHSCPの規則を持った線が引けるのです。 また北海道の神社に関して、多くの人が勘違いしていることをすでに書いています。

 図S64は図S63がピギーバック配列をしていることを示した図です。桃色の線で示したように大正島-高良大社の線には高良大社を頂点とするビギーバック配列になっています。また同じように、赤線で示した線は月ヶ岡神社-知床稲荷神社間の線に対して、阿蘇神社を頂点とするピギーバック配列となっています。高良大社、阿蘇神社ともに一宮です。このように数少ない神社に対して正確な直角線が引けるような配列は、あらかじめ計画し、その配列を決めていなれれば決してできないことがわかるでしょう。一般的な歴史観から大きく乖離している事象ですが、数学から見るとそれが計画的になされていることを数値を持って説明することができるのです。これでもまだ懐疑的な考えを持っている人もいると思いますが、図S63が偶然ではないことをさらに別の方法で説明することができます。ここでは、北海道の神社の認識にこれまで大間違いがあったことがわかるはずです。

 
 図S64 直角線、大正島-月ヶ岡神社-知床稲荷神社のピギーバック配列(高良大社、阿蘇神社は一宮
(角度は補正内角)

2014.5.2記

 神社が規則的に配置されていることは、日本中の神社を見て回ると、神社の前に平地があるにもかかわらず、わざわざ山(岩山を削っている場合もある)を削って位置合わせをしているのではないかと考えられる神社がいくつもあり、絶対に何かの法則にもとづいて神社の位置を決めているはずだと確信をしていました。しかし、全国30万社もある神社からその糸口を見つけることは、滅茶苦茶にもつれた糸を解くように難しく、何度も挫折しそうになりました。このような中で、伊豆の島や屋久島、礼文島、大東島などからは比較的簡単に神社群中心を見つけることができ、それが糸口になって少しづつ解けていった経緯があります。現在は、すっかり慣れてしまって、本土の神社密度の高いところでも、簡単に神社群中心を見つけることができるようになりましたが、当初は礼文島の知床稲荷神社、屋久島の矢筈八幡神社などの数少い神社の位置が研究を継続する心のよりどころになっていたのです。研究を始めた頃は、その中の一つである知床稲荷神社が小笠原や尖閣諸島と関係しているなど全く考えてもみませんでした。

  また少し脱線しましたが、月ヶ岡神社から直角に伸ばした線が到着する点が、かつて心のよりどころとなっていた礼文島の知床稲荷神社だったのです。そして、大正島-月ヶ岡神社-知床稲荷神社を結んだ補正内角は89.35゜と正に神が決めたような正確な直角になっています。大正島から母島、母島から礼文島それぞれ2,000Kmもの距離があるのです。私は小笠原が復帰直後に父島へ48時間もかかって行ったことがあります、東京の竹芝桟橋から父島まで約1000Km弱です。その倍の距離ですから本当に遠い距離だと実感できます。そのような距離を古代人が正確に方向を知ることができたとは本当に驚きです。

 驚きはそれだけではありません。母島から礼文島への到着した線は⑤知床稲荷神社を経由して神社群中心である⑥樺岡不詳神社(北海道稚内市声問村樺岡)へ90.16゜度と、これも神が決めたような精度の直角で到着しているのです。疑い深い人は、数ある神社の中からあらかじめ、このようになる神社を選択していれば何も不思議ではないと言うかも知れません。

 
 図S65 ④月ヶ岡神社(母島)から⑤知床稲荷神社に到着した線は直角で⑥樺岡不詳神社に到達する

 そこで、図S66を示します。図S66に示す小さな赤丸印が神社の位置を示しているように、北海道の神社の分布密度は低く、よりどりみどりに神社を選ぶことはできません。しかも、勝手に選んでもその点が神社群中心である可能性はものすごく低いのです。図S65では神社群中心である⑨利尻山神社を出た線が⑧、⑨を通り⑥樺岡不詳神社に到達する線は一本の線のように見えますが、拡大をすると図S66に示すように、⑦音問神社と⑧の音問不詳神社の二つの点を経由する二本の線になっています。経験則ですが、異なる点を経由して来た線が交わる点は必ず神社群中心になるとした規則があります。したがって⑥は間違いなく神社群中心であることがわかります。さらに、一部しか表示されていませんが、その点が周辺の神社から引いた直角線の到着点になっていることがわかります。
(図S65には仮想神社群中心となっている興味ある点もありますが、この説明は別の機会に譲ります)

 
 図S66 ⑥から⑧、⑨の異なる点を経由、同一点⑨に到達している
(角度は補正内角)


さらにまだ驚くことがあります。図67は利尻島付近の拡大図です。ここのグリーンの線で示すように、利尻島の神社群中心である⑨利尻山神社と、もう一つの神社群中心である⑩御崎不詳神社からそれぞれ90.63゜と90.80゜の高い直角精度で竹島(島根県隠岐郡隠岐の島町)へ向かう線があることです。

 
 図S67利尻島から竹島(島根県隠岐郡隠岐の島町)に向かう二本の直角線(グリーン線)
(角度は補正内角)

 
 図S68知床稲荷から丸松不詳神社を経由、竹島に到達する直角線
(角度は補正内角)

  その後、全国各地の神社群中心から竹島に向かう線が見つかり、特に日本海側沿岸付近にある神社群中心から竹島に向かう直角線が数多く見つかりました。しかも、その中には竹島に向かう直角線の屈曲点が神社群中心であるとする、極めて特異な神社配列まで頻繁にあることがわかりました。
図S68はその例で、礼文島の知床稲荷神社を出発した線は丸松不詳神社(北海道天塩郡遠別町丸松)を経由し、正確な直角で竹島に到達しています。この場合は、出発点の知床稲荷神社だけでなく、丸松不詳神社も神社群中心となっていて、周辺の神社から伸びた直角線の収斂点になっています。このような特異な事象は神社配置がこれまで常識的に考えられていたように、ランダムに配置されているとしたら、決して起きることはなく、神社が計画的に配置されたことを示しています。

2014.5.2記

 竹島に到達する線が遠方の北海道からあることで驚く人が多いと考えます。これまで、北海道の神社は明治期にできたと考えていた多くの人達の驚きはなおさらだと考えます。常識的な北海道の歴史観からは絶対に考えられない事です。しかし、そのような歴史観は先にも説明したように、誤った権威者の説や、文献に残るわずかしかない記載から造られたものであることが明確になったことになります。その証拠はすでに書いたように、明治政府が「怪しい迷信に惑わされて小祠を信仰することを禁ずる」令を出したことにもあります。これを言い換えると、開拓時の原野に、何らかの小祠がすでにたくさん存在していたことになるのです。

 
誰もその歴史を解明できない小祠があることは、「万世一系」を推し進める明治政府には許せない問題であり、小祠の正体を解明できない学者もそれに触れることが不利であることを承知していたので、その両者の利害が一致していた経緯のなかで出来上がった歴史観でしかなかったのです。実際は、何も無いところに社殿を建てるよりも、小祠のあった場所を選んで、そこに新たな社殿を創建し、そこへ、本土から神社を勧請したに違いありません。その後、得体の知れない小祠は忘れられるか、意図的に隠され、社殿創建日や勧請した祭神と神社名だけが残ったのです。

 その後、竹島に到達する直角線は驚くほど多く、全国の神社配置に大きな影響を与えていたことが、次第に明確になってきました。いきなり遠方から到達する線を先にしたので、疑問を持たれる人も居ることを危惧しているので、今度は最も近い隠岐から竹島に到達する線を示します。

 
 図S69 隠岐島内の神社群中心から神社群中心を経由して直角で竹島に到達する4本の直角線
(角度は補正内角)

  図S69は 隠岐島内の神社群中心から神社群中心を経由して直角で竹島に到達する4本の直角線を示したものです。見ての通りで敢えて説明の必要はないでしょう。線の出発点も経由点も神社群中心であることから、思いつきで引いたようなレイラインとは桁違いに信頼性の高いものです。同様な例はまだたくさんあり、日本海沿岸だけでなく、長野県や奈良県などの内陸からもあることから、古代は竹島の位置が特に重要視されていたことがわかります。(竹島の位置は東島の97mピーク点を仮に置きました。残念なことに、精度の問題で、真の神社群中心が竹島・島内のどこにあるかはHSCPで求めることはできません。)

2014.5.5記
 尖閣諸島の大正島(沖縄県石垣市)が神社群中心であると主張していますが、まだこの証拠を書いていません(もうすでに線を引いた方もいると思いますが、この結線は後に説明します。)未だに、誤った常識から抜けられない人達は図S61、図と63を信じられないかも知れません。しかし、これまで書いたことで、大正島の位置が日本の本土の神社に影響を与えている証拠はすでに十分にあると考えていますが、更に念を入れて説明をします。

 これまで神社群中心には古富士線があり、干字状パターン持つと説明してきました。それなら、当然大正島もそれを持つはずです。それを示したものが図S70です。大正島は古富士から1,700kmもありますがほとんどが海域になっているので干字状パターンを求めることは簡単です。その方法は、

 1.大正島から古富士まで線を引く。(図S70の①-⑤の線、古富士線と呼ぶ)
 2.この線は本土まで全部海域で静岡県浜松市南区にある米津の浜で本土に到達します。この到達点から古富士ポイントの間にその線上に神社がないか調べます。
 3.最もこの線に近い神社は天神社(静岡県磐田市加茂西1220-1)であることがわかります。(図S72参照)ここで天神社が神社群中心の条件を満足するかを調べます。
 4.②天神社を中心として周辺の神社に線を引き、その点からさらに直角に線を引き、その延長線にある神社がHSCPの条件を満足するかどうかを調べる。
 5.4.がOKであることを確かめたら②天神社の位置で直角に線(③-④の延長線に相当)を引きます。
 6.②天神社の位置で引いた直角線の上に乗る神社を調べると太平洋では③六社神社がみつかる。
 7.③六社神社の位置も4.と同じように神社群中心であるかとうかを確認する。
 8.日本海側は④白山神社がみつかる。(経験上、干字状パターンの端点は海に近い位置で見つかることが多い。)
 9.④白山神社の位置も4.と同じように神社群中心であるかどうかを確認する。
10.④-③の線を引く(F2SLが④、F2SRが③になります。F1SL、F1SRは海域でありません)

注;②、③、④どれかの線が神社群中心の条件を満足しない場合はその線引きは間違いです。ただし、海域が近くにあり、端点までの距離が極端に短い場合、それが省略されていることがあります。また神社群中心を確認する場合、直角線のずれが直角定規で確認できるほどある場合もその線は間違いです。古代人の能力を過小評価することが結線の間違いを起こす最大の原因になることを心得てください。また、
地図は屈曲点を原点に置き直す機能がないものは使用できません

   
 出発点  経由点  到着点 補正内角
(度) 
①古富士ポイント(静岡県御殿場市) ②天神社(静岡県磐田市加茂西1220-1)  ④白山神社(石川県加賀市細坪町ラ57)  89.35
①古富士ポイント(静岡県御殿場市) ②天神社(静岡県磐田市加茂西1220-1)  ③六社神社(静岡県磐田市福田2100-1)  90.25
   図S71 ⑤大正島(尖閣諸島、沖縄県石垣市))の干字状パターン(頂部大正島を通る横棒は海域で欠落)
(角度は補正内角)

 
 図S72  天神社付近の拡大図(角度は補正内角)

 図S72に示すように⑤大正島から古富士ポイントに引いた線と②天神社の位置は約25mずれています。このずれの大きさをどのように考えるかはそれぞれ異なると思います。
私は、このずれは地殻変動によるものと考えていますが。改築時に神社が移動する場合もあるのではないでしょうか?
 1,700kmも離れた大正島の位置が本土の神社の位置に関係しているなど、とても信じられないと思う人は多いでしょう。次は、②天神社の位置が偶然ではないことを説明します。
驚くことに、②天神社の位置は竹島や諏訪神社上社本宮の位置とも無縁ではないのです

2014.5.9記

 図S73は図S71の大正島に対する古富士の干字状パターンにピギーバック線(桃色)を追加した図です。すなわち、③六社神社-⑤大正島間の線には桃色の線で示したように⑦竹島を頂点とする補正内角90.23度、③六社神社-④白山神社間の線には⑥諏訪大社上社本宮(信濃国一宮,長野県諏訪市中洲1)を頂点とする補正内角90.45度のピギーバック線があります。この図から
、③六社神社の位置は①古富士ポイントと⑤大正島、⑦竹島の位置によって決まっていることがわかります、どの位置も自然に決まったもので動かすことのできない位置となっています。このように自然物の位置だけで、明確に神社の位置を説明できたことは世界で初めてであると自負しています。また、⑥諏訪大社上社本宮の位置は③六社神社と④白山神社の位置によって決まっていることを示しています。(諏訪大社上社本宮の絶対位置を決定するにはもう一つの条件が必要です、この詳細については別途説明する予定ですが、ここでも古富士ポイントの位置が決め手になっています)。

  どちらの補正内角を見ても古代では考えられない高い直角精度になっています。この現実を見て、これまで古富士線や干字状パターンが偶然によるものだとか、意図的な結線によるものだと言い続けていた人達はどのように考えるのでしょうか?。このような特異な現実の事象に向き合おうとせず、小説のような三国志や、矛盾だらけの記紀などを盲信していることの矛盾になぜ気づかないのでしょう?。

 私の勝手な考えですが、図S61、図S73だけでも世界遺産に登録できる次の登録基準を備えていると考えています。後に述べる大正島と魚釣島、多良間島の神社と魚釣島の関係を加えればさらに完璧になります。もしそうなれば、これまであった二つの紛争も平和裏に良い方向に向かうのではないかと真剣に考えています。

○ 人類の創造的天才の傑作を表現するもの。
○ 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
○ 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例。

ここで、最も障害になるのは現実に向き合うおうとしない、自他ともに「知識人」と考えている人達がやたらと多くいることです


 
    図S73 ⑤大正島(尖閣諸島、沖縄県石垣市))の干字状パターンのピギーバック線(桃色線)
(角度は補正内角)

 これまでの経験では、干字状パターンで図S73にあるように、近傍に海があって、②天神社から海側に向かって極端に短かい線しか引けない場合、そこに神社群中心がみつからず、干字状パターンの横棒の一部が欠落している場合がほとんどでした。しかし、図S73では②天神社から海域までの距離が極端に短いにもかかわらず③六社神社の神社群中心が存在しています。理由はわかりませんが、これは稀な例です。ちなみに、②天神社-③六社神社間の線にはピギーバック配列を作る神社はありません。代わりに、①古富士ポイント-③六社神社間の線にはピギーバック配列を作る神社がたくさん存在します。この事実や⑦竹島の古富士線とその干字状パターンについては次に譲ります。


2014.5.11記
 図S71、図S72、図73にある②天神社は恐らく菅原道真を祭神としていて、神社の創起を903年頃にしてあるに違いありません。これを理由に、この神社の位置がその頃に決まったとすることは早計です。以前にも書いたように学者の中には秋葉神社は江戸時代に名前が決まった新しい神社だと平気で言う人もいます。これは神社の発祥そのものを全く知らない人の言うことです。これと同じように、天神社の創起された時期を菅原道真に合わせて考えてはいけません。神社の歴史はそんなに新しいものではありません。「天神」の意味は元々「高天原にいる、または高天原から天降った神の総称」であって、菅原道真とは全く関係のなかった神です。

 さて、次に竹島の干字状パターンについて考えて見ます。このパターンを書くのも次のように簡単です。
1.図S74に示すように、①古富士ポイントから②竹島に線を引きます。
2.①-②間に引いた線上に神社が無いかを海側から調べます。
3.③守黎神社がすぐに見つかります。(実際は46mほど南西方向にずれている)
4.③守黎神社(福井県福井市鮎川町)の位置が神社群中心の位置にあるかどうかを周辺の神社について調べ、HSCPが成立するかどうかを確認します。
5.③から①-②間に引いた線に直角に線を引き、その線上に乗る神社を海側から調べます。
6.④伊太祁曽神社(紀伊国一宮、和歌山県和歌山市伊太祈曽558)が見つかります。この神社は図S61にも登場した神社です。これはすでに神社群中心の位置にあることが確認済みです。
7.同じように、竹島から②-①の線に直角線を引き、海側からその線に乗る神社を調べます。
8.白木神社(福岡県糸島市王丸410)が見つかります。この神社も神社群中心の位置にあるかどうかを確認します。

 
図S74  竹島の干字状パターン(横棒二本の線は海域で省略されている)伊太祁曽神社は紀伊国一宮
(角度は補正内角)

この結果を図S74に示します。


 
 図S75  守黎神社の位置

注;守黎神社の位置は国土地理院の地図の位置(もしかしたら別名の神社かも知れない)

北緯36度05分41秒80 東経136度01分56秒28

としてあります。(この位置が神社群中心の位置にあります)。市販の地図では84mのピーク点の位置に神社があるように書かれていて、航空写真でもそこに神社があるようにも見えます。しかし、その位置は神社群中心の位置にありません。


2014.5.18記

 色々と多忙で更新が遅くなってしまい申しわけございません。これまで、竹島(島根県・隠岐の島町)と大正島(尖閣諸島)の位置を神社群中心とした干字状パターンについて説明してきました。この説明を読んで「信じがたい」とか「馬鹿馬鹿しくて読んでいられない」など色々のご意見があったと思います。しかし、まじめに向き合ってこの項を読んで下さった方々はその不思議さに感動されたに違いありません。それでも、遠くはなれた尖閣諸島にある大正島の位置によって静岡県の天神社の位置が決まっていることなどはとても考えることができない、やはり何かの偶然が重なったに過ぎないと考えた人は多いでしょう。

 そうですね、常識的に考えればそれはまともな考え方でしょう。私自身もこのような意外な結果に驚くよりも、やはり偶然ではないかと疑っていた時期もありました。しかし、後に説明する沖縄の神社群中心や、奄美大島、鬼界ヶ島にある神社群中心は静岡県の天神社(図S73の②)からそう遠くない場所にそれぞれ干字状パターンの下側横棒の交点を持ちます。詳細は後にしますが、そのパターンを見れば恐らく、その疑いはすぐに晴れ、古代人の能力に改めて驚嘆するに違いありません。(実は、後にまとめてこれらの事実を説明する目的で、図S73ではその重大な事実を隠してあります。)

注;図45~図47に誤りがありました。近いうちにこの訂正をする予定です。

 
もし、これらの線が偶然ではないとしたら、日本の古代史、特に沖縄と本土の関係についてほとんどの人たちがこれまで勘違いしていたことになるだけでなく、世界の技術史も大きく塗り替える必要も生じてきます。やはり、偶然とは起きるものだと考え、この事実を葬ってもすぐには何も問題が起きるきることもないでしょう。関係する多くの学者はそれを望んでいるに違いありません。 しかし、大勢の学者を敵に回しても正しいことは正しいと主張しなければ、真理の追求はできません。そこで、くどいようですが、やはり偶然ではないかと考えたい人たちに、更に念を入れて説明を続けることにしました。


★竹島(島根県・隠岐の島町)と大正島(尖閣諸島)の驚く幾何学的関係

 図S61を見ると、竹島と大正島を結んだ線に対するピギーバック配列として伊太祁曽神社があり、明らかに伊太祁曽神社の位置が竹島と大正島の位置を意識して決められていることがわかります。領土問題として注目されている二つの島の位置がこのように特殊な幾何学関係にあることははたして偶然なのでしょうか?

 
 図S76 竹島と大正島の特異な幾何学的関係 (石上布都魂神社、伊太祁曽神社はどちらも一宮)   
(数字で示す角度は補正内角、図の角度は地図の原理的な歪により正しい角度を示していません)
 石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)  備前国一宮、岡山県赤磐市石上1448
 伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)  紀伊国一宮、和歌山県和歌山市伊太祈曽558

  図S76は干字状パターンの一番目の縦棒に相当する線、すなわち竹島では竹島-守黎神社間、大正島では大正島-天神社間の線にも、それぞれの線を底辺として、石上布都魂神社、伊太祁曽神社を頂点とする赤色の線で示した直角三角形が成立し、ここでもピギーバック配列になっていることです。それぞれの頂点にある神社はどちらも数少い一宮で、これだけでも偶然に起きることは考えられない特異の配列になっているだけでなく、大正島の古富士線の一部である、大正島-天神社間の線に対するピギーバック配列の頂点が竹島の古富士線上にあり、しかも干字状パターンの二段目のクロス点と一致しています(図S73、図S74を参照)。このように特異な配列が偶然にして起きることは決してありえないことは、確率論を出すまでもなく理解できるでしょう。

2014.7.1記。

 先に説明したように古富士ポイントから対象点(竹島、または大正島)に線を引き、その線上に神社がないかを海側から探します。そこで見つかった点が周辺の神社に対してHSCPを満足すればその点が干字状パターンのクロス点になるのです。このようにして簡単に求めることのできた点が図S76に示すように特異な幾何学的特性を持ことに驚いたに違いありません。特に大正島の位置が静岡県にある天神社の位置を決めていることは常識的には信じられない事象ですが、これは紛れも無い事実です。これを確認するには地図さえあれば誰でも確かめることができ、その結果は誰が行っても同じになります。

 それでもまだ疑っている人には図S-77を見てください。この図は大正島の干字状パターンの二段目のクロス点である天神社-古富士ポイントの線に対するピギーバック配列の成立する神社(補正内角が一度以内の誤差に入っているもの、一部に寺院を含む)を選んでその位置を示したものです(神社は直角の屈曲点の位置にあります)。また、表S-1では、この屈曲点における補正内角とその位置を緯度、経度(世界測地系)で示しています。ここでは、神社を神社名ではなく番号で示し、西伊豆方面の屈曲点から反時計回りの順番になっています。

 表S-1に示したように、補正内角が1度以内になる神社だけで55社もあります。これは偶然では考えられない異常な数です。もちろん、ここでヒギーバックが成立しているのは、古代人が意図したものではなく、偶然による例も含むと考えていますが、かなりの線は計画的に意図されたものであって、古富士ポイント-天神社-大正島の線が古代には特別に重要視されていたことの証拠になります。また、ピギーバック線の一部(沼津市大諏訪41-1にある久連神社と天神社を結んだ線)は月ヶ岡神社(小笠原・母島)の干字状パターンの一部にもなっていて、ここでも古代人が遠方にある神社の位置を重要視していたことがわかります。

 
図S-77古富士ポイント-天神社(静岡県磐田市)間を結んだ線に対する異常に多いピギーバック線(誤差1度以内)
この線の一部(久連神社を経由する線)は小笠原・母島にある月ヶ岡神社の干字状パターンの一部となっている


番号 北緯
度分秒
東経
度分秒
補正内角
番号 北緯
度分秒
東経
度分秒
補正内角
1 344345.95 1374955.53 90.00 29 353158.49 1381828.03 89.69
2 344130.44 1375229.04 89.43 30 352523.82 1375444.99 90.35
3 344023.07 1375414.03 90.75 31 352255.94 1375056.93 89.77
4 344614.98 1384619.89 89.43 32 352332.31 1375104.78 89.10
5 344639.10 1384633.77 89.56 33 352319.47 1375109.50 90.02
6 344704.89 1384647.02 89.72 34 352244.35 1375034.98 89.60
7 350033.48 1385214.68 89.63 35 352351.72 1375235.31 90.35
8 350043.86 1385222.35 89.36 36 352200.56 1375029.25 90.46
9 350108.50 1385211.91 89.85 37 352156.03 1375024.24 90.46
10 350508.43 1385216.24 89.46 38 352034.84 1374918.99 90.84
11 350117.50 1385208.28 90.02 39 352006.56 1374830.17 90.35
12 350120.92 1385158.38 90.43 40 351955.12 1374841.95 90.84
13 350550.47 1385215.75 89.24 41 351605.39 1374537.51 90.65
14 350604.62 1385207.78 89.54 42 351247.03 1374322.67 89.86
15 350717.88 1385200.45 89.26 43 350845.08 1374200.56 89.89
16 350714.01 1385133.56 90.74 44 350840.30 1374150.55 89.60
17 350721.60 1385140.49 90.29 45 350605.41 1374112.26 89.24
18 350753.10 1385127.46 90.67 46 350459.33 1374111.56 89.47
19 351347.74 1384940.92 89.50 47 350445.54 1374130.03 90.24
20 352907.31 1383147.35 90.14 48 350423.19 1374109.59 89.49
21 352900.68 1383138.42 90.81 49 350325.71 1374139.01 90.80
22 352923.54 1383141.25 89.21 50 350306.23 1374109.77 89.59
23 352957.09 1383013.54 89.12 51 344858.27 1374530.96 89.53
24 352951.35 1382929.59 90.37 52 344821.34 1374604.42 90.70
25 353002.58 1382910.24 90.05 53 344821.22 1374604.64 90.72
26 353023.38 1382821.87 89.66 54 344725.11 1374637.88 89.58
27 353038.68 1382730.12 89.60 55 344617.92 1374731.76 89.53
28 353139.95 1381830.03 90.50
表S-1        (緯度・経度は世界測地系)


 
 図S78 月ヶ岡神社(小笠原・母島)の干字状パターン(天神社は大正島の古富士線上にある)
日枝神社(千葉県市原市鶴舞256)は古富士ポイントの緯度(17秒の差)と等しい特徴を持っている

 図S78に示すように、小笠原・母島にある月ヶ岡神社の二段目干字状パターン(一段目は海域で省略)は久連神社(くずらじんじゃ、静岡県沼津市大諏訪41-1)の端点は天神社になっています。すなわち、大正島の古富士線上にあり、大正島の干字状パターンの二段目のクロス点にあった天神社は母島にある月ヶ岡神社の干字状パターンの端点である天神社と共通になっていたのです。このようなことが偶然に起きることは考えられないので、古代人の優れた能力によるものに違いありません。また、月ヶ岡神社の干字状パターンのもう一つの端点である日枝神社(千葉県市原市鶴舞256)の緯度は古富士ポイントの緯度とほぼ等しく17秒の差しかありません。更に図では省略してありますが日枝神社の干字状パターンはその端点が磯崎神明神社(千葉県鴨川市内浦2836)と熊野神社(秋田県能代市坂形堂ノ後3)の神社群中心にあり、ここでは、二つの神社の経度がほぼ等しい特徴を持っています。

 
 図S79 古富士ポイント-天神社間のピギーバック線と周辺の神社分布(赤丸印中心が神社のある位置、丸印の直径は750m)
(この地域は異常に神社密度の高い部分がある)

 図S79は古富士ポイント-天神社間に引いた線に対するピギーバック線(図S77と同じ)とその周辺にある神社の分布を示したものです。この地域は全国でも稀なほど神社の分布密度の高い地域です(一見、ランダムな配置に見えますが、これらの神社のほとんどはHSCPによる規則的な配置になっています)。この図では神社の密度が高いので、ピギーバックの直角線がいくらでも成立するように誤解を受けるかも知れません。しかし、図の神社の位置を示す小円の直径は750mもあります。一度以内の誤差で直角線を引こうとすると、その大きさは巨大な円に見えるはずです。試みに、例えば、天神社の位置を意図的にずらしてから直角線を引こうとすると、とても困難であることがわかります。そして、図にある直角線の異常な多さが実感できるでしょう。


2014.7.11記

 ここまで説明しても、未だに常識的な歴史観から抜けられない人がいて、遠くはなれた小さな無人島でしかない大正島(尖閣諸島)の位置が本土にある神社の位置に影響を与えている事実を実感として感じられない人が多いに違いありません。そこで、大正島の位置が九州の神社だけでなく、南紀・はては伊豆諸島の神社の位置まで影響を与えている具体的な事実を順を追って説明して行きます。この事実は神社の発祥について新たな考え方を示してくれるに違いありません。
そして、これまで考えられていた神社の観念を根本から考え直す必要があることを示してくれると共に、古代人の驚くほど優れた能力に改めて驚嘆するに違いありません。

    
 神社名  住所  緯度 経度   屈曲点の補正内角
 権現神社 宮崎県宮崎市高岡町浦之名599付近   315743.03  1311314.60  
 下大野神社 熊本県八代市二見下大野町2411  322429.29  1303329.26  90.20゜
 大正島  沖縄県石垣市(尖閣諸島)  314145.21  1295357.97  
     図S80 権現神社を出た線は下大野神社を経由して90.2゜の高い直角精度で大正島に到着する
 緯度・経度の単位は度・分・秒(世界測地系、角度計算は)国土地理院の距離と方位角の計算による。
補正内角は屈曲点から100km以内はそのままの点、100kmを超えるときは約100kmの点で計算
(補正内角は屈曲点付近の直角座標系で計算した角度差にほぼ等しくなる。)

 大正島は下大野神社から900km余もあります。このような遠方の距離にもかかわらず、その角度は90.20度と驚くほど高い精度で神社が配置されています。私の属している古代史の会の古参連中のように、いつまでも脳天気でいて、「日本は神社が多いからそのような点を探すのは簡単だ」と未だに、月から帰還した宇宙飛行士に向かって「月にはウサギかいるはずだ」と主張していると同様な人たちは、この現実を見てどのように考えるでしょうか?。実際に線を引いたことのない人は、これまでの常識的な歴史観を一生変えることができず、古代人の残してくれた、感動する多くの事実を知らずに没してしまう可能性もあり、本当に残念なことと考えています。

注;以下に続く説明で、会の人たちが信じているアラハバキと客神社の関係についても、これまでの考えを否定する事実が見つかりました。これまでのようなアラハバキ神の研究方法では決してわからなかった事実です。

  図S80で下大野神社と権現神社を選んだ方法は、その脳天気な人達が考えているような試行錯誤によるものではありません。新しく発見した確かな法則によって、その神社を選んでいるのです。下大野神社も権現神社も神社群中心の条件を満足しています。この条件を元に、脳天気な人たちの考えるような試行錯誤による方法で大正島に直角で到達する2点を探そうとしたら、逆に日本は神社が30万社も多くあるので、とてつもない努力と時間が必要でしょう。

 下大野神社は先のページでも登場した神社で、長野県の諏訪大社上社本宮との関係について伝承のある神社です。その伝承は長野から到着した祭神が「井牟田海岸から山道を越えて当地に到着」となっていて、祭神が山側ではなく海側から来ることになっている不思議な伝承は、もしかしたら、図S80と諏訪神社の祭神が混同して生じたものかも知れません。ちなみに、偶然かも知れませんが井牟田(熊本県葦北郡芦北町井牟田和田)にある不詳神社から、89.93゜で伸ばした線の先(鹿児島県姶良郡湧水町木場2835)には諏訪神社があります。

 次は、脳天気な人たちの考えに反して、上記の二社を選択した明確な理由を説明しますが、図S80が種子島の神社や遠くはなれた伊豆諸島の神社と関係していることを知ったらもう驚かない人はいないに違いありません。

2014.7.25 記

図S71はその実例です。いきなりこの図を見てもなかなか信ずることができない人が多いでじょう。しかし、この図が決して特別ではないことが次第にわかってきます。
大正島に向かう線は後に述べる共通の法則を持っていることがわかってきました。同様な特性を持つ線はまだたくさんあります。


 
図81 権現神社には東京都東京都三宅島(伊豆諸島)と種子島、下大野神社には種子島から竹島(鹿児島県鹿児島郡三島村))を経由して直角線が到達
 
 図S82 東京都三宅島と種子島北部の拡大図


2014.7.29記

 図S82にある二宮神社(延喜式内社、東京都東京都三宅村坪田)はすでに★伊豆諸島(利島、神津島東京都三宅島、八丈島)から日出町ポイントに収斂する6本の直角線の項で神社群中心であることがわかっている神社です。ここにある図S25は6本もの直角線が日出町ポイントの一点に集中していて、古代人が遠方の方向を正確に知ることのできた決定的証拠でもあります。

 以前にも書いたように、九州王朝説を盲信する著名な数学者は、この明確な事実を数学ではわかっていながら無視しています。にもかかわらず、別の場所では、
『その昔「太陽が地球の周りを回っている」という「常識」が正しくなかつた様に、「常識」は必ずしも正しいとは限らない。学問は「常識」を「疑ってみる」ことによって発展する。』などと言っているのです。その後、伊豆諸島からは、秋葉神社(静岡県牧之原市勝俣2356)にも日出町ポイントと同様に直角線が集中することがわかりました。このような事象が偶然にして起きることは極めて稀であり、図S25が偶然ではないことがますます確かになっています。更に、以下の説明で種子島と伊豆諸島の位置関係を古代人が明確に認識していたことがわかります。先の先生を始めとして、このように科学的で明確な事実になぜまじめに向き合わない人がいるのでしょうか?

 HSCPは縄文遺跡だけではなく、箸墓古墳、仁徳天皇陵などの前方後円墳でも成立します。この事実から、少なくともこの時代までは日本全体を鳥瞰できる優れた能力を持った人たちが存在していたことは間違いないのです。九州王朝説も、その事実と矛盾するようなことがあれば、もう一度考えなおす必要があります。もしその説が一部の時代に於いて正しかったにしても、「日本書紀には富士山の記載がないから、富士山を知らない九州王朝が作成した」などとするような、古代人が狭隘な地理観しかなかったとする常識的な考えに基づいた説は、通史としては完全に間違っていることになります。この問題を正すには、HSCPの伝承が何時の時期に失われたか、またその理由を明確にしなければなりません。異議があればぜひ反論をお願いいたします。反論は大歓迎です。


----追記
 掲示板に書いたように6世紀後半に造られたとされている都塚古墳の位置もHSCPが成立し、石舞台古墳の位置も同じ思想で配置されていることがわかりました。石舞台古墳は6世紀の古墳を壊して7世紀初め頃に造られたとされています。もしこの説が正しいとすると、HSCPは6世紀までは伝承されていたことになります。もしかしたら、わざわざ古墳を壊してそこに新たに古墳を造ったことをみると、7世紀でもその位置の意味を知っていた人たちが居た可能性もあります。

 これは、少なくとも6世紀まではHSCPは伝承されていて、この頃までは日本全体をあたかも鳥瞰できるような能力を持った人たちが実在していたことになります。その人達の本拠地がどこであったかは今のところ確かではありませんが、九州王朝説はそのような状況の中で、はたしてうまく説明できるのでしょうか?。ちなみに、九州王朝説の拠り所の一つとなっている高良大社の位置もHSCPが成立し、古富士線には干字状パターンも持ちます。この意味は、
この神社の位置を決めた人は、九州地域に限定した狭隘な地理感を持った人ではなく、日本全体を鳥瞰できた人たちが決めたことになります。これだけを取り上げても九州王朝説には無理があるのではないでしょうか?
高良大社に限らず、他の神社のほとんども、HSCPの規則で配列していて、その配列は北海道から沖縄まで、同じ規則で切れ目なくつながっています。俗に言われている、蝦夷や熊襲の居た場所をこの配列から見出すことは全くできません。この事実は、古文書や考古学的な見地ではなく、現存する神社の配列からわかることであって厳然たる事実なのです。この事実と辻褄の合わない通史はどこか大きな間違いをしていることになります。常識的な歴史観から抜けることのできない人は、HSCPそのものが間違っているから、そのような議論は無益と考える人は多いかも知れません。それならば、ぜひその反論をお聞かせください。礼金まで用意してそれをお待ちしています。
------

2014.8.16追記

 
伊豆諸島の神社間結線図は後に詳しく説明する予定ですが、説明の都合で、まず東京都三宅島の二宮神社を神社群中心とした結線について説明します。図S83は二宮神社を神社群中心としてHSCPの規則で線を引いたものです。その一部はすでに図S25で説明していますがここでは国土地理院の地図に掲載されている8社全部について結線したものです。

注;三宅島に神社は多いのか?にもあるように1981年の式内社調査報告 第10巻 東海道5』皇學館大学出版部では12社の神社があり、神のやしろを想うではさらに多く20社以上もの神社が三宅島あったようです。これらの神社に対しての検討もありますが、この結果については後に譲ります。

       
番号  神社名 社格など   住所  北緯
(度・分・秒)
 東経
(度・分・秒)
 屈曲点
補正内角
(度)
 その他
 ① 二宮神社 式内社  東京都東京都三宅村坪田  340337.64  1393241.53 神社群中心
 ②  椎取神社 式内社 東京都東京都三宅村神着  340626.68  1393327.76  90.30 図S25参照
 ③  御笏(おしゃく)神社 式内社加彌命神社旧地 東京都東京都三宅村神着  340710.88  1393121.78  90.25  
 ④  御祭神社   東京都東京都三宅村伊豆  340644.32  1393003.75  90.15 図S82参照、 図S25の神沢神社は御祭神社の誤り
 ⑤  后(きさき)神社 式内社(論社) 東京都東京都三宅村伊ヶ谷  340600.56  1392922.81  89.82  
 ⑥  火戸寄神社   東京都東京都三宅村阿古  340429.35  1392853.73  89.70  
 ⑦  若宮神社   東京都東京都三宅村阿古  340338.26  1392903.14  89.84  
 ⑧  富賀(とが)神社 式内社 東京都東京都三宅村阿古字富賀山  340320.10  1392905.29  90.00  
 ⑨  元名不詳神社   千葉県安房郡鋸南町元名  350901.07  1395041.81  - 神社群中心
 ⑩  小動(こゆるぎ)神社   神奈川県鎌倉市腰越2ー9ー12  351822.93  1392935.15  - 神社群中心
 ⑪  豊八幡大神   神奈川県平塚市豊田宮下  352130.93  1391948.79  - 神社群中心
 ⑫  日出町ポイント  仮想神社群中心 愛知県田原市日出町浜  343459.15  1370236.96  - 神社群中心、日出町ポイント参照
 ⑬  権現神社   宮崎県宮崎市高岡町浦之名599付近   315743.03  1311314.60  - 神社群中心、図S82参照、図49参照
 ⑭  豊穀神社 地福之島三十三聖地旧跡 鹿児島県大島郡徳之島町手々  275305.30  1285607.14  - 神社群中心 図49参照
 ⑮  星野洞   沖縄県島尻郡南大東村北(南大東島)  255127.292 1311328.09  - 神社群中心 大東諸島の不思議 参照
      図S83 三宅島坪田にある二宮神社を神社群中心とする結線図 

 常識的な歴史観から抜けられない人は「まさか?」と思うに違いありません。しかし、伊豆諸島の神社について古代の様子を詳しく知っている人は誰もいません。例えば、流人の島になぜ延喜式内社がたくさんあるのでしょうか?。このように一見やさしそうな質問にも今の所答えを出せる人は一人もいないのです。神社についてはほとんどまだ何もわかっていないので、何が起きるかは想像もつきません。そんな状況でまさか?と考えることがおかしいのです。これまでHSCPを深く研究するようになったのも、これらの疑問に対し満足な答えがどこにもなかったこともその理由の一つです。

 ここでは、三宅島から「
遠方まで伸びる線の到着先には必ず神社群中心がある
とした経験則から、思いつきで引いたようなレイラインの信頼性の低い線ではなく、確率から見ても桁違いに信頼性の高い線が遠方まで引けるのです。「まさか?」と思う線もこれから次第に納得できる線になって行くはずです。すでにお気づきの人がいると思いますが、「種子島から直角で出た線のほぼすべての線は必ず大正島に伸びる直角線の出発点となる神社群中心に到着する」とした奇妙な法則があることを発見しました、図S84もその例の一つです。

 
 図S84 種子島を出た線は必ず大正島と係る線になり、伊豆諸島とも深く関わる特徴がある


番号  神社名 社格など   住所  北緯
(度・分・秒)
 東経
(度・分・秒)
 屈曲点
補正内角
(度)
 その他
 ①  諏訪神社   鹿児島県西之表市安城1262  303853.43  1310251.52  -  神社群中心
 ② 鬼丸神社   児島県肝属郡南大隅町根占川北6174  311314.77  1304735.19  89.94  神社群中心
 ③ 二宮神社 式内社  東京都東京都三宅村坪田  340337.64  1393241.53 -  神社群中心
 ④ 立神岳(478m) 山頂に小祠 鹿児島県鹿児島市下福元町  312931.08  1302648.24  90.06  神社群中心
 ⑤ 大正島   沖縄県石垣市(尖閣諸島)  314145.21  1295357.97  -  神社群中心

2014.8.11記


  図S34に示すように、三宅島の神社群中心である二宮神社には種子島の神社群中心である①諏訪神社神社を出た線が②鬼丸神社を経由して89.94゜の高い直角精度の線で到着しています。同じように、八丈島から到着する線もありますが、この線については後にまとめて説明する予定です。神社群中心である諏訪神社を出た線は種子島内にある神社を経由して正確な直角線となって本土に到着します。種子島の島内には他にも神社群中心があり、その中心をスタートして本土に達する線がたくさんあります。不思議なことに、その線がすべて大正島に関係する線になります。

 一方、三宅島の二宮神社を出発した線は、七つの神社の位置で正確な直角に近い線でそれぞれ図7S83で示した点に到着します。この高い直角精度でも、例えば到着点の豊穀八幡神社や小動神社のある付近では神社の分布密度が高く、到着点がどの神社であるか迷う状態になります。しかし、「遠方から到着した線は必ず神社群中心に到達する」とした規則からその到着点を正確に知ることができます。くどいようですが、これが従来の単なる思い付きの点に線を引くレイラインの手法とは大きく異ることです。

 あらかじめ、到着点付近のHSCPによる結線が完了していると、その到着点は容易に求めることができます。しかし、HSCPの結線作業は大変手間がかかり、一見簡単そうに見える図S38のような線も、引き終わることは、そんなに簡単ではありません。

 ところが、絶海の孤島である南大東島の星野洞に到着する線はとても簡単です。周りはすべて海で、陸に相当する場所は南大東島しかないので、どこに到着するか迷うことはありません、しかも大東諸島の不思議 すでに書いてあるように、星野洞が神社群中心であることがわかっているのでなおさらです。大東諸島の不思議 の項では、図10が偶然の結果に過ぎないと考えていた人も多いと考えていますが、星野洞にぴったりと到着する線があることに驚いたに違いありません。また徳之島の豊穀神社に到着する線は、天皇陵直線配置に関係する線の到着点でもあり、この一致に驚いた人も多いと考えています。このような驚きはこれから更に続きます。そして古代人の優れた能力に益々感動するに違いありません。

この頁は書きかけです
後は続きになります。

2004.8.16記。

2014.8.まだまだ驚くことが続きます


反論は大歓迎です。HSCPを理論的に否定された最初の方には500万円の礼金を用意してあります。


専門家、団体からでもかまいません。
2014.5.2礼金を10倍に変更

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